逃亡したい
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今月の「高村薫さんと考える」のテーマは「いじめ」でした。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/takamurakaoru/news/20061203ddn012070019000c.html
これを読んで先生の言うとおりだとおもっていたのですが、今日さっきNHKで雨宮処凛さんが自分のいじめ体験と今問題とするべきことなどを論じていました。
雨宮さんの意見に本当に大賛成です。(--) 本当にいい事をおっしゃっていましたよ。
高村さんも雨宮さんも「学校だけが世界ではなく、学校を休めばいいのだ」という点は同じでした。でも雨宮さんの場合は 「その後どうするのかが問題だ」というのです。
たしかに不登校になった子がその後進学するのも大変だろうし、引きこもり、ニートになってしまう可能性は十分にある。 それから社会へ出て行くのはとても大変なことです。学校から逃げたあとに、どういうケアをできるのか。
まあフリースクールもあるし、単位制の学校もあるからね~ ちゃんとその先もあるのだ、ということを教えてあげたりアドバイスできればいいなあと思う。
それから 自殺されてしまった 加害者は一人で耐えられるのか という指摘も確かにそうだなあと思いました。 加害者ケアというのはいまいち言葉が変だと私はおもうのですが。加害者もなにかしらの問題を抱えているのかもしれませんしね・・・
あとは大人が自分のいじめ経験をもっと語るべきだと締めくくっていました。 ふむー。
語るのはやぶさかではありませんが、そうなるとどのへんからいじめと言っていいのかいまいちわかりませんね。
どんなことされたとかいちいちもう覚えてないことのほうが多いし(どうやって切り抜けたのかは結構覚えているけど)
以下は体験談なので暇な方と 体験を知りたいぞという稀有な方だけ読んでください。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/takamurakaoru/news/20061203ddn012070019000c.html
これを読んで先生の言うとおりだとおもっていたのですが、今日さっきNHKで雨宮処凛さんが自分のいじめ体験と今問題とするべきことなどを論じていました。
雨宮さんの意見に本当に大賛成です。(--) 本当にいい事をおっしゃっていましたよ。
高村さんも雨宮さんも「学校だけが世界ではなく、学校を休めばいいのだ」という点は同じでした。でも雨宮さんの場合は 「その後どうするのかが問題だ」というのです。
たしかに不登校になった子がその後進学するのも大変だろうし、引きこもり、ニートになってしまう可能性は十分にある。 それから社会へ出て行くのはとても大変なことです。学校から逃げたあとに、どういうケアをできるのか。
まあフリースクールもあるし、単位制の学校もあるからね~ ちゃんとその先もあるのだ、ということを教えてあげたりアドバイスできればいいなあと思う。
それから 自殺されてしまった 加害者は一人で耐えられるのか という指摘も確かにそうだなあと思いました。 加害者ケアというのはいまいち言葉が変だと私はおもうのですが。加害者もなにかしらの問題を抱えているのかもしれませんしね・・・
あとは大人が自分のいじめ経験をもっと語るべきだと締めくくっていました。 ふむー。
語るのはやぶさかではありませんが、そうなるとどのへんからいじめと言っていいのかいまいちわかりませんね。
どんなことされたとかいちいちもう覚えてないことのほうが多いし(どうやって切り抜けたのかは結構覚えているけど)
以下は体験談なので暇な方と 体験を知りたいぞという稀有な方だけ読んでください。
小学校のときもいじめに近いことはされてました。でもそれは女子からじゃなくて男子からだったんですねー
しかも幼馴染ってやつです。 原因は容姿のことだったり、ピアノのことだったり、グズだったし、いろいろです。
でもいじめられてるんじゃないかなーと思うようになったのは小学校3年くらいじゃないかな。
グループで何かをするのが嫌いになったし、体育でもだれかとペアで何かをするっていうのが本当に嫌いだった。 相手が見つからないんだもん。
いつの間にか「自分をいじめてるやつが一番のアホなんや」と割り切れたところがあったし、 あとはもう「中学校になったら、新しい世界なんだから自分はや り直せるんだ」とか (まあ中学でもいじめられたわけですが) 進級したときに「また新しい自分になれるんだ」といちいち自分で暗示をかけていたのもある し。
そのころはいろんな人とコンタクトを取りたがってたんだと思うな。中学ではアマチュア無線をしてたのもそうだし(クラブでね) 文通もけっこういろんなひととしてたし。 外へ外へ自分を向けようとしてたなあと思います。
学校ではね、授業中はまあ勉強すればよかったから、休み時間は苦痛で 自分の世界に閉じこもって 小説かいてみたり、 自分の学生手帳のカレンダーに休みの日までのカウントダウンを書いてみたり(暗)
ボロボロのときにくだらない担任が私を呼び出して「お前は友達がいないのか」と問いただすし(苦笑)
あほかっちゅーねん。 いないっていうたらどうするつもりや。 確かに同じクラスにはおらんかったけどな。
まあその親友と思っていた友達に 親友ではないだろう みたいなことを言われたこともあったしね。
(うーん 複雑) まあ自分も悪いんで 仕方がないんですが(反省)
私の場合はやっぱり TMNETWORKの存在が大きい。 つ らくても TMがあるからとか TMのライブにいってみたいから生きていなきゃダメなんだとか。新しいTMの曲がききたいから、自分は生きてなきゃだめな んだとか そう思って生き延びてたわけですよ。内容も結構勇気付けるようなものが多かったし。(その反動が終了時にばばーんときたんでしょうなああ)
でもまあ2年くらいからはクラスに仲のよい友達もできたから、自分はよかったけど、学級は崩壊してましたね。
というか学年自体が崩壊してて、先生も見るのがつらいくらいだった。(先生が一生懸命どうにかしようとしてたけど、どうにもならなかった) うちの学校の 場合は「不良」たちが堂々といじめをしてたというかんじだったので。 だから不良が普通に生徒会長になったりね、 もうほんまに学校として成り立ってな かったと思う。あとは先生と仲良くなってたから、それも救いだったな。 2年のときの担任は美術教師で副担が音楽教師だったんです。 今考えるとだからだったのかもしれないけど(笑) 学年主任とかにもかわいがってもらってた気がします。1年のときに担任はあいかわらず最悪で暴力教師でしたけど(怒)
3年のときに学校が分裂して、結構不安だったけど 3年はとにかく受験だったから。とにかく新しい世界の切符を手に入れなきゃと必死だった。 落ちたけど一回は。
高校を選んだときもとにかく 「あの場所(あのアホども)から逃げ出したい」っていう理由で校区外の学校を選びました。 のくせにまたまたアホな担任が余計なことをして 計画は100%まではうまくいかなかったわけです・・・ 98%くらいはうまくいった。 高校でもいろいろあったけどね。 高校ではまあ とある人との出会いが自分を180度変えるくらいのインパクトがありましたけど・・・ それはまあいいです。 でもあの人がいたから自分は芸大に進んだのかもしれないなあとちょっと思います。 今でも心の師かもしれません・・・ (ご本人には高校以来まったくお会いしていませんが!)
本当に学校が楽しいとおもったのは大学くらいでしょうねえ。 あそこはパラダイスのようです。
別につるまなくてもいいし、一人でも別にみんな一人でなんかやってる子なんて山ほどいてるし。
浮いててもべつにそれがよかったりするし。 どうして普通の学校ではああいうことができないんでしょうねー
変でいいんだと実感しました・・・(爆笑)
親に言ったことはなかったけど、ズル休みも多かったし。気づいてたはずですよー。ほんと。
まあ高校、大学で性格が180度くらい変わってしまったので、いまでは どうってことないですけど
その当時はほんまに死にたかったし、死ぬことが一番の幸せだとおもったこともあったし
(まあ今でも長生きはそんなにしたくないけど。ほどほどまででいい。)
でも雨宮さんもいうてたけど そんないじめるようなくだらない人間のために死ぬことなんてないんですよ。
しかもねー殺すのもさー結局自分に返ってくるわけです。 そんなくだらない人間のために人生捨てるなんて
もったいなさ過ぎる。 だったら そいつらよりいい人生を送って見下してやるほうが ずっとすっきりすると
思いませんか? (と思って生きてきた私でした・・・)
しかも幼馴染ってやつです。 原因は容姿のことだったり、ピアノのことだったり、グズだったし、いろいろです。
でもいじめられてるんじゃないかなーと思うようになったのは小学校3年くらいじゃないかな。
グループで何かをするのが嫌いになったし、体育でもだれかとペアで何かをするっていうのが本当に嫌いだった。 相手が見つからないんだもん。
いつの間にか「自分をいじめてるやつが一番のアホなんや」と割り切れたところがあったし、 あとはもう「中学校になったら、新しい世界なんだから自分はや り直せるんだ」とか (まあ中学でもいじめられたわけですが) 進級したときに「また新しい自分になれるんだ」といちいち自分で暗示をかけていたのもある し。
そのころはいろんな人とコンタクトを取りたがってたんだと思うな。中学ではアマチュア無線をしてたのもそうだし(クラブでね) 文通もけっこういろんなひととしてたし。 外へ外へ自分を向けようとしてたなあと思います。
学校ではね、授業中はまあ勉強すればよかったから、休み時間は苦痛で 自分の世界に閉じこもって 小説かいてみたり、 自分の学生手帳のカレンダーに休みの日までのカウントダウンを書いてみたり(暗)
ボロボロのときにくだらない担任が私を呼び出して「お前は友達がいないのか」と問いただすし(苦笑)
あほかっちゅーねん。 いないっていうたらどうするつもりや。 確かに同じクラスにはおらんかったけどな。
まあその親友と思っていた友達に 親友ではないだろう みたいなことを言われたこともあったしね。
(うーん 複雑) まあ自分も悪いんで 仕方がないんですが(反省)
私の場合はやっぱり TMNETWORKの存在が大きい。 つ らくても TMがあるからとか TMのライブにいってみたいから生きていなきゃダメなんだとか。新しいTMの曲がききたいから、自分は生きてなきゃだめな んだとか そう思って生き延びてたわけですよ。内容も結構勇気付けるようなものが多かったし。(その反動が終了時にばばーんときたんでしょうなああ)
でもまあ2年くらいからはクラスに仲のよい友達もできたから、自分はよかったけど、学級は崩壊してましたね。
というか学年自体が崩壊してて、先生も見るのがつらいくらいだった。(先生が一生懸命どうにかしようとしてたけど、どうにもならなかった) うちの学校の 場合は「不良」たちが堂々といじめをしてたというかんじだったので。 だから不良が普通に生徒会長になったりね、 もうほんまに学校として成り立ってな かったと思う。あとは先生と仲良くなってたから、それも救いだったな。 2年のときの担任は美術教師で副担が音楽教師だったんです。 今考えるとだからだったのかもしれないけど(笑) 学年主任とかにもかわいがってもらってた気がします。1年のときに担任はあいかわらず最悪で暴力教師でしたけど(怒)
3年のときに学校が分裂して、結構不安だったけど 3年はとにかく受験だったから。とにかく新しい世界の切符を手に入れなきゃと必死だった。 落ちたけど一回は。
高校を選んだときもとにかく 「あの場所(あのアホども)から逃げ出したい」っていう理由で校区外の学校を選びました。 のくせにまたまたアホな担任が余計なことをして 計画は100%まではうまくいかなかったわけです・・・ 98%くらいはうまくいった。 高校でもいろいろあったけどね。 高校ではまあ とある人との出会いが自分を180度変えるくらいのインパクトがありましたけど・・・ それはまあいいです。 でもあの人がいたから自分は芸大に進んだのかもしれないなあとちょっと思います。 今でも心の師かもしれません・・・ (ご本人には高校以来まったくお会いしていませんが!)
本当に学校が楽しいとおもったのは大学くらいでしょうねえ。 あそこはパラダイスのようです。
別につるまなくてもいいし、一人でも別にみんな一人でなんかやってる子なんて山ほどいてるし。
浮いててもべつにそれがよかったりするし。 どうして普通の学校ではああいうことができないんでしょうねー
変でいいんだと実感しました・・・(爆笑)
親に言ったことはなかったけど、ズル休みも多かったし。気づいてたはずですよー。ほんと。
まあ高校、大学で性格が180度くらい変わってしまったので、いまでは どうってことないですけど
その当時はほんまに死にたかったし、死ぬことが一番の幸せだとおもったこともあったし
(まあ今でも長生きはそんなにしたくないけど。ほどほどまででいい。)
でも雨宮さんもいうてたけど そんないじめるようなくだらない人間のために死ぬことなんてないんですよ。
しかもねー殺すのもさー結局自分に返ってくるわけです。 そんなくだらない人間のために人生捨てるなんて
もったいなさ過ぎる。 だったら そいつらよりいい人生を送って見下してやるほうが ずっとすっきりすると
思いませんか? (と思って生きてきた私でした・・・)
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